すみません、実はとってもとっても楽しい一日を過ごしたんですが、ちょっと落ち込むことがあって……。
いえ、首の皮一枚でつながったサムライジャパンが原因ではありません。首の皮一枚だとリアルに考えれば絶命している気もするんですが、まだサムライたちは生きているとジーコ監督は言っています。
ブラジル戦、四時起きして死闘を応援する予定です。
落ち込みの理由は、簡単。
私の偏屈さで、他人を不愉快にしただろうと思ったからです。
知人の子どもが公共の場で騒いでいたので、いつもの怖い声で叱りました。
でも、その子には全く届かなかった。つまりその子は騒ぎ続けたわけです。
私の隣にいたために、いつもの叱責は直接、かなり怖い説教になっていました。
でも、考えてみると、余計なお世話でした。
その子の母親はなぜか私に謝りながら、きっとさぞ、イヤだっただろうなと思います。叱責は、親がすべきことなんです。なのに私がその子を叱れば、これは間接的にその親のしつけを叱っているのと同じです。(しかも、それも届かない)。
なんの権利があって、私はそんな僭越なことをしてしまったんだろうか。ちょっと雰囲気を悪くしたなと思った私は、その子の母親に一応、軽く謝りました。
ところが、その子が、実際に幼児が事故死したことのある危険な横断歩道を飛び出しそうになったときに、とっさに腕をつかんでそのまましゃがみ込み、反射的に雷を落としていました。
軽く謝った舌の根も乾かないうちに、おばちゃん、またしても豹変。
その子は私がつかんだ腕を痛いと振り払いました。
多分、彼がここで一時停止するようにはならないと思います。私は、ただ、痛みを与えてしまっただけ。
それを複数の母親達の前でやってしまった自分の忍耐力のなさが問題です。周りの母親達は、その子とその子の母親を見送った後に、そんな感じの頑固ジジイの存在って、絶対に子どもには必要なのよと慰めてくれたけれど……。でも、楽しく盛り上がっていた雰囲気を一転、またしても悪くしたのは事実。
私は「母親として」野生の脊髄反射で生きているところがあります。でも、そのせいで、たくさんの人を傷つけているんじゃないだろうかと、さすがに本気で反省しました。
叱って反省するぐらいなら、最初から叱るんじゃない、とも思いました。
昭和の時代には当たり前にいた、「頑固ジジイ」を目指すには、まだまだ修行が足りません。
まず、私はババアではあるがジジイではない、ということをどうするか、一度しっかり考え直す必要があるのかも知れないなと、思いました。
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