「楽しいだけじゃだめなの? おかあさん」
とP子に詰め寄られて、
「楽しいだけにしちゃ、高すぎるんだよ」
と現実を9才の子に教える母。
ただ楽しいだけのために対価は払えないな、成果をださないと。
習い事だからね、安い娯楽とは違う。
こうして、P子は三年楽しんだ英語劇団を辞めた。
積極性とかパフォーマンス能力は高くなっても、英語に関してはまるで成果がでない。むしろカートゥンネットワークで英語を聞くことすらイライラしているぐらい、英語そのものから離れたがっているようにも見え、さらにディレクターがかわるという出来事を渡りに船にして、やめる方向で説得していった。
手持ちぶさたの彼女がではせめてサマースクールかホームステイをしたいというので、年間にかかるコストにもうちょっと足し、そこにつぎ込むことで合意。英語劇団に通う子達はリッチなので、通常クラスもとり、さらにホームステイにも行く子がいるが、うちはそうはいかないんだ。
お金は、きっと自由を勝ち得るための弾(タマ)で、そんなものはちょっとあれば十分足りる。だからやっきになって稼ぐこともない。
自分を縛るものは、もうそんなに多くないから。
と、トシを重ねてわかったことも、まだP子にはわからない。うちの経済状況もはっきり理解しているわけではない。
P子は、英語劇団を続けたい。
ただ楽しいから続けたい。
「ただ楽しいだけじゃダメなの? おかあさん」
……私には、ただ楽しいことに金と時間をかけるという観念が欠落していたから、もちろん答えは「ノー!」ダメに決まっていた。
何をしていても、計算があった。すごい貧乏な話だ。経済的にというよりは、心が貧しいんだ。
娯楽にしても、いつか何かの役に立つ前提で、役に立ちそうもないことには金は出せなかったし、時間もかけられなかった。
14才の時に、遺産相続の泥仕合を見て、金を心底憎んだ。
なのに、18才の時に家を出て、栄養失調になるほど貧乏で、命の次に金が大事だと思った。
そのアンビバレンツを抱えて、私の経済観念は、41才になってもまるで確立していない。
そして「時は金なり」。
頑張らないで、努力しないで、ただだらだらと時間を浪費することは罪悪だとたたき込まれた幼児期の掟が、私から消えることはない。
貧乏くさいんだと思う。
バブルで入ってくる金は湯水のように使ったけれど、エステはせいぜい6-7回でやめている。時間もお金もかかるのに、効果が思ったほどでなかったからだ。
でも、撮影で知り合ったヘアメイクアーティストにプライベートで髪を切ってもらうのは大事だった。かっこ悪い見栄の張り方だ。最近は1000円カットばかりになって、あれは何だったのかなあと20代の自分を嗤う。
体を鍛えること、英会話学校、海外旅行、人脈を広げるパーティー、そんなのには率先して、いくらでも金と時間をつぎ込んだ若い頃。ありったけをムキになって吐き出すことで、背水の陣を気取り、全部自分の実になるんだと信じていた。
そうやって自分を向上させようとしていた。高見に立つことで、見返したい人がいた。
で、結局、今はさ。
自分を縛っていたいろいろなものは、お金ではなく自分の気持ちで、いくらでもほどけることを知っている。
見返したい人も次々、勝手に消えていった。
私が心底幸せであれば、他人の攻撃的な目や言葉なんか、どうでもよくなるんだよね。つまり、最大の復讐は、自分の幸せを確立することで、それは案外簡単だったの。
だから、そんなにお金もかからない。時間に関しては相変わらずせっかちでもったいながりだけれど。
そういう原点に気づいてから、やっと、楽しむためのお金を割と惜しまなくはなったけれど、それでも、正直に言って、私には成果のない、ただ楽しむだけのために、ポンとお金を出せるほど、心は広くなかった。
卑しい経験がそうさせるんだろう、ただ楽しいだけではなく、付加価値をどこかに見つけようとしてしまっていた。最初に期待してしまうんだ、せめて、ストレス解消、とか、広がる可能性とか、深まる組織力とか、未知の味わいとか。
だから、たた楽しいだけなんて、そんなのはありえなかった。
「ただ楽しいだけじゃ、だめなの? おかあさん」
と、今、P子に聞かれたら、
「それこそが大事なのかも知れないね」
ときっと答えている気がする。
「ただ楽しいだけの習い事」を、成果が出ないという理由でやめさせようとした無粋な自分を反省する。「ただ楽しいだけのこと」に出会うって、実はものすごく大切なことだった。
つい先日、ライブハウスに出た。
ただ勢いで始まった大人の文化祭、練習は週に一度、スタジオにこもってわいわい。初対面の人ばかりの、すぐに解散するバンドだから、そこに何かを求めるわけでもなかった。主婦のお小遣いでも何とかなるスタジオ代。物見遊山のつもりが、練習が終わった後はうどんを食べて、ビール飲んで、結局バカ騒ぎ、この心地よさがだんだんクセになっていった。
そしてライブ当日は、音楽的にはともかく、出演者一同ハイテンションで、そんな仲間がひたすらかっこよく好ましく、なんだかめっちゃめちゃ楽しかったのだった。
多分私はうまれて初めて「成果」を考えずに、軽い気持ちで参加したんだ。そこに、想像以上に、とんでもない楽しさと思い出と仲間が加わってしまったものだから、ちょっとびっくりして、考え込んでしまった。
時間とお金に対する、成果って大事なのか。
成果を求めたら、大人の文化祭だもの、何もない。でも、無駄な時間でも、無駄なお金でもなかった。むしろ、対価として考えたら安すぎるぐらいだ。だって、このかけがえのない経験はどうしたらいいのか。
経験は記憶に残る。そしてこの記憶こそ、大事な宝物だったことに、今さら気づいてしまった。
ただ、楽しいだけでも、いいじゃない。
それだって、十分な「成果」じゃない?
いやもう、それこそが大事なのかもしれない。
生きている醍醐味って、「ただ楽しい」って思える瞬間だもの。
「ただ楽しい」って、それはそれは、「幸せ」なこと。
幸せを知る能力は、トシを重ねるとだんだん大きくなるんだなと思う。
ただ楽しいだけでも、いいんだ。
浪費家であることは多分昔と変わらないんだけど、私の心構えが変わった。けちくささが、なくなって、楽しいことにちゃんと時間もお金も費やせるようになりたいと思ったんだ。
私は、これから、それでいこう。
「ただ、楽しいだけじゃだめなの?」
「いいに、決まってる!!」
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