著作権について

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将棋の棋譜に著作権があるのか。という話題が一昨日盛り上がった。
将棋の一手一手はプロのひらめきで、そこには独創的なアイディアが含まれているが、そこではなく、それをまとめた「棋譜」に著作権がある(だろう)。というところが非常に興味深かった。これを将棋連盟が主張し始め、次々と棋譜をオープンにしていたサイトを閉鎖しはじめた。ということで話題になったという風に認識している。

「棋譜には著作権がある」というのは主張としてわからないこともない。棋譜は単なる記録なのか、それが著作物なのか。というあたりの線引きが実に微妙なのだが。
アイディア自体には著作権がない。そういうものらしい。
それを集めて本にすると、その本の作者に著作権が生じる。将棋の棋譜も、そこに誰かが意味づけをして、三間飛車戦法。などという戦略本にしたら立派な著作物だ。棋譜は単なる記録なのでそこに著作権はない。というのが今までの慣例のようだ。
将棋連盟が、棋譜の著作権を主張し管理することには、メリットとデメリットがある。
メリットは集団の収入になること。それによって対局以外にも収入が入り、分配することで棋士の生活も安定するかもしれない。
デメリットは、将棋普及の妨げになること。誰もが気軽に対局データを見ることができることは、アマチュアの棋力向上に役立ち、将棋人口の裾野を広げることになる。
「著作権」はちょっと調べると頭が痛くなるほど複雑で、簡単に足を踏み入れることはできないエリアなんだが、
大雑把に考えると、権利の主張は権利を持つ人を潤す一方、一般の人間の利便性を少し損なうということが言えると思う。
例えば漫画や小説を簡単にコピーされてしまうと、苦労して描いた人が報われない。自由に読者同士でコピーできると読者は便利で楽しいが、作者に利益を還元させるしくみが破綻すると結局は新作を読むことができなくなる。作者の権利を守ることでその職業を守っているが、同時に読者は自由に読むことが制限されている。
発明や特許も、そのオリジナリティを保証することで、一定期間コピーを自由に作ることを禁止している。
車輪や電気や文字や印刷、様々な発明品があるお陰で現代の生活ができている。それは誰かがかつて発明したもので、人類の財産といえる。
たくさんの人がコピーしたいと思うものは、いいものなのである。
作った人はすばらしいが、いいものはみんなで共有するべき人類の財産なのだから、ある一定期間だけ作者に利益を保証しましょう。というのが著作権だと思っている。
絶対的な権利というのではなく、発明発見(といっしょにしてはいけないのかもしれないが)著作物などは、みんなのもので、一時的に作者にお礼を払っている。ようなものかなあと。

自分のスタンスは、あまり作者が著作権を主張しないで、共有していったほうがいろんなものが便利になるんじゃないか。というフリーミアムなところにありまして、正直なところ、著作権を強く主張している人や団体には(けち臭くね?)と思っちゃうところがなきにしもあらずっていうかほほほほ。

で、将棋の棋譜はどうか。というと、やっぱりこれも著作物の一種と考えていいんじゃないかなと思うんですね。すごく期間の短いものとして、日本の一般的な著作権は作者の死後50年ですが、これが打った瞬間に発生して消えるのが将棋の一手で、棋譜はもう少し長く持つもの。そして戦略の本は通常の著作物と同じかなと。棋譜は著作物だけど次の日には権利が消えてなくなる。みたいな扱いはどうでしょうだめですかそうでしょうね(笑)
作った人の権利はお金じゃなくて、「尊敬する」ということでよかったりしませんか。
「権利」というのは法律で、非常に厳密に決められているので、そっちの話になると勉強してなくてグダグダですが、一昨日のツイートで言いたかったことはこのあたりでした。
アイディアにも著作権があるんではないか。
著作権をみんなが強く主張してしまうと世の中が不便になる。
金や権利を強く主張しないでも、作った人はリスペクトされている。
というようなことを酔っ払いながら言いたかったんですよ。
>我孫子武丸さん。