ぼくのなつやすみ

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通称「ぼくなつ」といえばプレステのゲームでは有名な、ぼくのなつやすみだが、この作者である綾部和さんayabekazと最近ツイッターで知り合った。
「最初のはやりましたー」と軽く挨拶などをしていたら、みそさんの昔の知り合いの人とゲーム作りましたよ。と綾部さんが言う。
ぼくなつ2の舞台は、伊豆の富戸で、近くの大きな架空の街は下田という設定でした。
おお、そうなのかー。
教祖の知り合いでゲームを作っていたと言えば、もう何年前だったか連絡があって、一度飲んだ高校の時の同級生がいた。その時の話を「おとなのしくみ」のネタにして、ゲーム業界はいいなあ、いやいや漫画家の方がいいなあ。というオチで終わる漫画を描いたので覚えている人もいるかもしれない。
高橋。物理研究部の高橋ね。下の名前は忘れちゃったけど。
みたいな話をしたら、どうも違う。
芸大油絵科らしい。
え? 芸大の同級生でゲームに行った人間がいるんだ。
綾部さんから返事は来ていないのでまだ確認できていないが、それはもしかして「伊藤」じゃないか?
伊豆の下田の片田舎で、割と近所で子供の頃から知っている、大学の同級生がひとりいるのだ。
ガキの頃から彼は足がめっぽう速く、頭がよく、そして二枚目だった。なので中学では生徒会長だった。普通そこまでなんでもできるとどこかに弱点があるものだが、スポーツ万能のくせにやつは、絵もうまかった。たしか音楽の才能もあったと思う。
よく覚えてないのは、1学年違うのだ。向こうが1学年下なんである。
彼の姉ちゃんがまた賢くて、二人とも生徒会長であった。オレが勝てるのは絵だけだな、とぼんやり思ったのを覚えている。ところがその後知るのだが、彼のじいちゃんは画家だったのだ。
北高で、運動部の勧誘をけり、入ってきたのは教祖がいた美術部だった。
高校の途中で田舎から東京へ引越ししてしまい、それっきりになったが、芸大で顔をあわせてびっくりした。
教祖は2浪で油絵科に入ったが、ほとんど学校に行かなかったため、次の年も1年生だった。そこに入ってきたのが彼、伊藤たいがだった。どんな漢字だったか忘れた。
油絵科というのは年間55人しか入らない学部で、同じ県の出身者もほとんどいない(東京が半分くらいなので)さみしい学校なのだが、それがあんな片田舎の2キロくらいの距離に同級生がいることが実に不思議だった。なんだよタイガは絵でもトップクラスかよ。というのが密かなショックだった、彼はそれほどスーパーな男だったのである。
その後留年してもやっぱり学校に行かなかった教祖は、除籍になってしまったが、タイガはしっかり卒業しただろう。学校関係に友達がいないのでまったく情報がないのだが。

そこで今日の話に戻る。同級生だというのでてっきり高校の同級生だと思ったが、「芸大の」同級生で同郷は伊藤しかいない。ゲームにいたのか。とひらがなで検索をかけたら、一発で出てきた。
伊藤泰雅

初回のパリ個展。1964年静岡県生。1991年芸大大学院油画技法/材料修了


なんと画家になっていた。
いやそんな驚くこともない。大学院までしっかり出て。順当と言えば順当である。うんうん、すばらしい。
ゲーム制作に参加していたのは17年前というから、彼が30弱だからバイトというところか。絵かきとしたら十分ありえることだ。これがついさっきの事なので、懐かしくてつい長い日記になってしまった。
タイガよ、オレは漫画家やってるよ。きっと漫画はオレの方がちょっとうまいと思うよ(笑)。いやわからないけど。
もし検索か何かでここにたどり着いたらいっぱい飲もうぜ。

※綾部さんから連絡が来て、ゲームの人とは違う人でした。